2016年6月1日水曜日

巻6(5) 知恵をはかる八十八の升掻

世の中が広いものだという事が今つくづく思い当たる。すべての商い事が出し尽くされたと言って、みんなが毎年悔むことがおよそ45年も続いている。

世間は不景気になったとよく言うが、無一文から商売を始めて立派に成功して一流町人になった人がたくさんいる。

米一石が銀14匁5分という安値の時でも、乞食はいるものだ。つらつら人の暮らし向きを見て見ると、その家相応にそれぞれ諸道具をだんだんとこしらえ、昔よりは一般にものごとが豊かになってきている。

もっとも家を破産させる人もいるわけだけれども、家を調えて繁盛させる人の方も多い。

その証拠には、京に限らず江戸・大阪の場末、空き地・野原まで少しの隙間もなく人家が立ちつづき、何をして暮らしているのかも分からないけれど、5人とか3人の子供に正月の晴れ着に綿を入れて着せ、盆には踊り浴衣もこしらえてやり、端鹿子の帯を後結びにさせているのも、ひとしお見栄えがする。

亭主は日雇い人足をしたり、あるいは釣瓶縄屋になったり、または子供だましの猿松の風車を商うなどして、ようやく1日まるまるもうかったとしても、37、38文か、45、6文、せいぜい50文までの仕事をするしかないかぐらいの働きの中で、一家4、5人が食べて、誰も寒いめにあわないのは、これみな母親の働きである。

同じ5人家族で一日に銀3匁5分ずつかかる家もあり、また6匁ずつかかる家もある。所帯の持ち方ほどひとによって違うものはない。

人の世渡りの仕方はさまざまに変わるものである。

夫婦共稼ぎでも暮らしかねているものもあれば、一方一人の働きで大勢を養っているとところもあるが、これなどは町人でも並々ならぬ出世というべきで、その身の利発さのたまものなのである。

すべての人間は目もあり鼻もあり、手足も変わることなく生まれついていて、皆同じなのだが、それなのに、高貴な身分の方々やいろいろな芸能者は別として、普通の町人は金銀をたくさん持っていることによって、世間にその名を知られるのである。

これを思うと若い時から稼いで金持ちとしてその名を世に残さないのは残念なことである。

家柄や血筋にかまわず、ただ金銀が町人の氏系図になるのである。

例え大織冠藤原鎌足の血筋を引いているにしても、町屋住まいの身で貧乏だったら、猿回しの身にも劣るのである。

とかく町人たるものは、大きな幸福を願い長者になることが肝要なのである。
金持ちになるにはその心を山のように大きく持ち、よい部下を抱えることが第一の条件である。
大阪の港にも、江戸へ回漕する酒を造りはじめて一門が栄えている者もあり、銅山に手を出してにわか成金になった者もある。

吉野漆の商売をして、人の知らない大金を貯えている人もあれば、江戸通いの快速船を造り出して、船問屋として名を上げたも人もいる。

家屋敷を抵当とする金貸しをして富貴になった人もあり、鉄山の経営を請け負ってだんだん金持ちとなる次第分限になった人もある。これらは近代のにわか成金であり、30年このかたの成功者である。

人の住むところは京・大阪・江戸の3都にまさる所はない。遠い地方にも分限者は大勢いるが、世間の噂にのぼらない者が多い。もっとも都の長者は金銀のほかに、世の宝となる諸道具を持ち伝えている。

亀屋という富豪の家の名物の茶入れ一つを銀300貫目でやはり富豪の回米問屋の糸屋が買い取ったことがある。

そうかと思うと、20万両の借金を年賦で返済する両替屋もある。

とかく都の出来事は規模が大きく、よそでは真似できない。

昔の長者が絶えると、新長者が現れて都の繁盛は次第にまさっていく。

だが、人は健康でその分際相応に世渡りするのが、大福長者になるよりも、なおまさっているのである。

家が栄えても跡継ぎがいなかったり、または夫婦別れをしたり、物事が満足にいかないのがこの世の習うべきことである。

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ここに今日の北側の里に、誰も知らぬ者もない3夫婦といって、人のうらやむ家族があった。

まず第一に祖父・祖母が達者であって、その子に嫁をとり、またこの孫が成人して嫁を呼び、同じ家に夫婦3組しかも幼馴染で夫婦になったというのは、世のためしもない幸せである。

この親父が88歳、その連れ合いが81歳、息子は57歳、その女房が49歳、その子が26歳、その女房は18歳である。

一生まったく病気をせず、とりわけ皆互いに仲むつまじく暮らしていた。

その上、身代の農民としての願いのままに、田畑・牛馬はもとより、多くの召使いが棟を並べて住み、年貢が免除されたのと匹敵するような多くの収穫をあげ、万事思いのままに暮らして神を祭り、深く仏を信心していた。

そのためにおのずからその徳も備わって、88歳の年の初めに、誰かが言い出して升に入れた米を平らにする升掻きを切ってもらったところ、大変な人気になった。

まっすぐな竹の林も切りつくしてしまうほどに京都の諸商人がこの升掻きを欲しがった。

これを使うものは商売に幸せがあるというので、いよいよもてはやし、3夫婦の升掻きと称して、俵に詰めた穀物を量ると思いがけぬ幸運に恵まれるのであった。

ある上京の長者はこの升掻きで白銀を量り分けて3人の子供に渡したという。

金銀もある所にはあるものだが、こうした長者の物語をいろいろと聞き伝えて、日本大福帳に記し、末長くこれを見る人のためにもなるに違いないと永代蔵に納めることにした。

時代もタイミングよく平和の時を迎えて、日本の御国も静かでめでたいことだ。