2016年6月21日火曜日

巻2(5) 舟人馬かた鐙屋の庭

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人選、教育、商売の心得等々のバランス感覚の良い完璧な経営は店を大きくする。

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北国の雪は毎年雪竿で測って1丈3尺以上降る。

10月の初めからは山道を埋め、人馬の通行が絶えて、翌年の2月15日のころまではおのずから精進暮しをすることになり、塩鯖売りの声さえも聞かず、茎漬けの桶を用意し、たき火を楽しみ、隣向かいの家との付き合いも無くなって、半年間は何もしないで明けても暮れても煎じ茶を飲んで日を送るのである。だが、いろいろの食物をあらかじめ蓄えておくので飢え死にするようなことはない。

こんなへんぴな漁村や山村へ馬の背に乗せるだけで荷物を取り寄せりるという事になると何もかもが高値になってしまうことだろう。

その点舟ほど便利なものはない。

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ここ酒田の町に鐙屋という大問屋が住んでいた。

昔はほそぼそと宿屋を営んでいたが、ここの主人は才覚があり、近年しだいに家が繁盛し、諸国の客を引き受けて北国一番のコメの買い入れ問屋となり、今では惣左衛門の名を知らぬものはいなくなった。

表口30間、奥行き65間の屋敷に家や蔵をぎっしり建てて、台所の様子は目ざましいものであった。

米・味噌を出し入れする役人、薪の受け入れ係、魚の買い出し係、料理人、菓子の世話役、煙草の役、茶の間の役、湯殿役、その他商いの部下、家計係の部下、金銀の支払い役、収入簿の記入役など万事1人に1役づつ受け持たせて事務を滞りなく運んでいる。

亭主は年中袴をはいて、いつも小腰をかがめ、内儀は身軽な身なりをして居間から離れず、朝から晩まで笑い顔をして、なかなか都会の問屋などとは違って、人の起源を取り、家業を大事につとめているのであった。

蓮葉女が36人もいて、下に絹物上に木綿の縦縞を着て、たいていは西陣の今織を後ろ帯に締めている。

これにも女頭があって、なにかと指図して、客に一人づつ布団の上げ下ろしのためにつけておくことにしている。

「十人寄れば十国の客」と諺にも言うように、ここの客も大阪の人もいれば、播州網干の人もいる。

山城の伏見の者、京都・大津・仙台・江戸の人々が入り混じって世間話をしているが、どの人の話を聞いても皆賢そうで、それぞれ一人前の仕事をさばけない者は一人もいない。

だが年取った部下は将来独立するために自分のためになることをするものだし、若い部下は遊びで派手に使いすぎて、とかく主人に利益を得させることがないものだ。

考えてみると遠くの国に商いにやる部下はあまり実直なのはよろしくない。というのは何事も控えめにして人の後につくので、利を得るのは難しいからだ。

また、大胆で主人に損をさせるほどの者は、一方では良い商売もして、主人が金を使い込んでしまった借金の穴埋めも早いものだ。

この問屋で数年多くの商人気質を見てきたが、初めてここに着いて馬を下りるとすぐに葛籠をあけて、都染めの定紋付に道中着を脱ぎ替え、すぐに紙をなでつけてくわえ楊枝で身なりをととのえご用を務めている部下に案内につれていくような人が幾人もいたが、1人として出世したためしは無い。それに比べて主人持ちでありながら、間もなく主人になるような人は、気のつけどころが格別違っている。

ここに着くやいなや、若い部下に近寄り、「たしかに先月の中ごろの書状の通りで、相場に変わったことはありませんか?」「空模様はところどころで変わるものだから、日よりも定めにくいが、あの山の雲の立ち方は200日目を待たずに風が吹くとはご覧になりませんか?」「今年の紅の花の出来栄えは?」「青その相場は?」と必要なことばかり尋ねる干鮭のように抜け目のない男は、まもなく上方の旦那様より金持ちとなられたものだ。

いずれにしても物事には、やり方のあるものだ。

この鐙屋も武蔵野のように商売を手広くして、締まりのないところがあったので、世間でもいうように一見長者風で、あぶなっかしく見えながら、その実びくともしないのは、鐙屋には鐙屋のやり方があったからである。

一般に問屋の内情が不安定なのは定まった口銭を取るだけなのを物足りなく感じ、客の商品で勝手な商いをして、たいていは失敗し、客にも損を掛けるようなことをするからである。

問屋の本業だけに一筋に専念して、客の売物・買物を大事にとりしきっていれば、何の気遣いもないものなのだ。

およそ問屋の暮らし向きは、外からの見立てと違い、思いのほか何かにつけて費用がかさむものなのである。

だからそれを無理に引き締めて、あまり地味に経営しすぎると必ず衰微して、遠からず潰れるものなのだ。

一年中の収支は、元日の朝八時前になるまでは分からず、普段は収支勘定の出来ない商売なのだ。

そこで鐙屋は儲けのあった時には来年中の台所用品を、前年の12月に買い込んでおき、その後は一年中に入ってくる金銀を長持ちに落とし穴をあけておいて、これに打ち込み、12月11日に定まって決算をするのであった。

鐙屋こそは確かな買い問屋であり、銀を預けても夜安心して寝られる宿である。