2016年6月26日日曜日

巻1(5) 世は欲の入札に仕合せ

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嫁の選び方には十分に注意せよ。娘の嫁がす相手には十分に注意せよというお話

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用心しなさいよ、国には盗人がいて、家にはネズミがいる。というのだが、後家に入り婿も似たようなものだから、ことをいそがず念を入れたほうがよい。

今どきの仲人は親切心だけで世話をするものではなくその持参金に応じて、たとえば50貫目の持参金がつけば5貫目の手数料を取るのだという。

このように持参金の一割も出して、嫁を呼ぶ家に娘をやるのをみると、その嫁入り先の資産のほどが気がかりになって、心もとない。

娘の縁組は一代に一度の取引で、もしこれで損をしたら取り返しのつかないことであるから、よくよく念を入れた方がよい。

世間の風潮を見ると、豊かな人で外観を飾らない人は稀である。その人の分際以上に万事を華美にするのが近年の人心であるが、これはよくないことだ。

嫁取り頃の息子のある人は、まだする必要のない家の普請や部屋の建て増しをし、諸道具を新調し、下男下女を増やしたりして、裕福に見せかけ、実は嫁の持参金を望み、それを商売の足しにしようとするのであって、その今生はまことに恥ずかしい両簡である。

世間への見栄のためだけに、送り迎えの女乗物を仕立てたり、親戚一同の間の交際で競べをしたりして、無駄な入費がかさみ、間もなく身代に穴があいて、穴のあきそうな屋根も葺くことができず、結局家の破滅とはなるものである。

あるいはまた、娘を持っている親は、自分の資産以上に先方の家の立派なのを好み、財産のほかに婿の男ぶりがよく、諸芸のたしなみがあって、人の目に立つくらいなのを聞き合わせて縁組しようとするが、小鼓を打つ者は博打を打ち、実直な手代らしく見える者は、遊女狂いがやまなかったり、一座での社交ぶりがうまいと人がほめると、その男は野郎遊びに金銀を使うものであったりする。

こうして考えてみると、男ぶりがよくて家業に抜け目がなく、世情に通じており、親孝行で、人に憎まれず、世のためになるような若者を婿に取りたいと尋ねまわっても、そんな者がいるはずはない。もしいるとしたら、よいことがありすぎて返って難儀があるものだ。

高貴の方にさえ欠点はあるものだから、まして下々の者は10に5つくらいの不満は大目に見て、小男であろうと禿げ頭であろうと、商いの応待や駆け引きが上手で、親から譲られたものを減らさない人なら縁組したほうがよい。

「あれは何屋の誰殿の婿だ」と噂され、五節句には袴・肩衣を折目正しく着て、紋付の小袖に金拵えの小脇差を差し、あとに丁稚・手代・鋏箱持ちを連れた当世風の男は見た目も派手で、娘の母親が喜ぶものである。

だがそれも、自己破産になってしまえば衣類も脇差もみな人手に渡り、ブ男が紬を花色小紋に染めて着たり、あるいはまた裏付の木綿袴をはいたのよりも見劣りがするものだ。

嫁も身分の高い家は別として、普通の町家の女は琴を弾く代わりに真綿を引き、きゃらを焚くよりは薪の燃え渋って消えそうになるのを上手にさしくべる者の方がよい。

それぞれに身分相応な身の持ち方をすることこそ見よいものだ。

世間体ばかりをかざって、皆偽りを通して暮らしている世の中に、時雨だけは偽りなく時節になると降りはじめるが、その時雨が正直に降る奈良坂を超えた春日の里に晒布の買い問屋をしている裕福な松屋の何某という人があった。

昔は今の秋田屋や榑屋にまさって繁盛し、満開の八重桜のように栄え、この奈良の都で華美を尽して春を豊かに暮らし地酒の辛口をたしなみ、鱶の刺身を好んで贅沢に月日を送っていたが、この家も次第に衰え、天命を知るという50歳になって、平生の不養生がたたってにわかに死んでしまった。

妻子に多額の借金を残して、その家督を譲ったわけだが、人の身代は死んでからでないとわからないものである。

この後家は今年で38歳で小柄な女であり、ことにきめが細やかで色白く、ちょっと見には27、8とも思われる、人好きのする当世風の女房であった。

亡夫の跡を弔うことを忘れて再縁もしかねないような容姿であったが、まだ幼い子供のことをかわいそうに思って、人から貞操を疑われないように髪を切り、白粉もつけず、紅をつけていた唇も色さめて、男模様の着物に好んで細い帯を締めるというような固い身持ちであった。

才覚は男にまさっているのだが、女の身で鍬も使われず、柱の根継をしようにも女の手細工ではできないので、いつとなく雨の漏る軒に忍草が茂り、屋敷の庭も野原と見えるほどに荒れ果て、鹿の声もふだん聞くよりは悲しく聞こえるようになり、恋しさ、懐かしさなどは去っても生活の上で亡き夫のことが頼もしく思い出され、女ばかりでは暮らしの立てにくいことを、今という今身にしみて感ずるのであった。

今どき後家を立て通すというのは、夫の死んだあとにたくさんの金銀家財があって、それをものにしたい欲心から、女の親類が意見して、まだ若盛りの女に無理やり髪を切らせ、気乗りのしない仏の道を薦め、亡夫の命日を弔わせる場合である。

ところが、こんな場合は必ず浮名が立って、家に古くから使っている手代を旦那にするといった例は所々で見かけることである。こんなことになるよりは他へ復縁したほうがましで、それなら人の笑うことではない。

それにつけても、かの松屋後家こそは世の人の鑑であった。いろいろ渡世の工夫をしてみても思うようにいかず、昔の借金を済ます方法も見つからず、しだいに貧しくなってきた時、一世一代の知恵をしぼり、「住宅の債権者の方に引き渡しましょう」と申し出ると、皆々は同情して今すぐ受取ろうという者は一人もいなかった。

もっとも借り銭は5貫目あって、この家を売ってみても3貫目以下の値打ちしかないのであった。

そこで後家は町中の人に嘆願して、この家の頼母子の入札にして売ることにした。

一人につき銀4匁ずつ取って、札に当たった人に家を渡すというので、「えいままよ、損したところで銀4匁だ」と札を入れたので、3千枚の札が入って、後家は銀12貫目受け取り、5貫目の借り銀を払って7貫目残り、再びそれを元にして金持ちになることが出来た。

その一方、人に召し使われていた下女が札に当たってわずか4匁出すだけで家持ちになったということであった。