2016年6月22日水曜日

巻2(4) 天狗は家名風車

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自分の職業をとことん極め、常に考え続けるとよいアイデアが湧くお話。

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海のように知恵の広い日本人の働きぶりを見て、世渡りの事にうとい中国の詩人白楽天が途中で逃げ帰ったという話があるが、まことに滑稽なことである。

漢詩を詠うのを聞いても聞きなれない感じがするものだが、それよりはずっとおもしろい横手節という小唄を聞いてその由来を尋ねてみると、紀伊の国の大湊で太地という村の女子どもが歌いだしたものだという。

ここは繁盛しているところで、若松の林の中に鯨恵比須の宮をまつり、鳥居に鯨の胴骨が立っているが高さは10mくらいある。

見慣れない者なので呆れてこの土地のいわれを尋ねてみるとこんな話をしてくれた。

この浜に、鯨のもりを打ち込む羽刺しの名人の天狗源内という人がいて、毎年運の良い男だというので、昔はいつもこの人をやとって鯨舟を仕立てたという。

ある時沖の一群の夕立雲が出たように鯨が潮を吹いていうのを根がじぇて、一のモリを打ち込み、当てたという印の風車の旗印をかかげたので、人々はまた天狗の手柄と知った。

大勢の漁師たちは浪のように掛け声をそろえて笛・太鼓・鉦の拍子を取って鯨に大綱をつけて、ろくろで磯に引き上げたところ、その丈が33尋と2尺6寸の背美という大鯨で、前代未聞のものだった。

ことわざに、「くじら一頭捕まえれば七里がにぎわう」というとおりで、竈の煙が立ちつづき、油をしぼれば1000樽以上にもなり、その肉、その皮、ヒレまで捨てるところがなく、一躍長者になるというのはこのことである。

白い脂身を切り重ねたありさまは、山のない浦に雪の富士を築いたように珍しく、赤い肉の山はモミジの名所高雄をここに移したようであった。

いつでもクジラの骨は捨ててしまうものであるが、源内はそれを貰い受けて、これを砕かせ、そこから油をしぼってみたところが思いがけぬ利益を得て金持ちになったのだが、それが下々の者にとって大分の利益となることを、今まで誰も気がつかなかったのは愚かなことだった。

近年はさらにまた工夫して鯨網というものをこしらえ、鯨を見つけしだい全く取りそこなうことがなかったので、今ではどの浦々でもこれを使うようになった。

以前源内は粗末な浜辺の小家に住んでいたが、今では檜造りの長屋を立て、200人余りの漁師をかかえ、船だけでも80艘、何事しても調子よく、今では金銀がうなるほどたまり、いくら使っても減ることのない、土台のしっかりした金持ちになった。

これを根の深くはびこったさまにたとえて「楠木分限」というのである。

「信心あれば徳あり」ということわざのとおり、源内は仏に仕え神をまつることがおろそかでなかった。なかでも西宮の恵比須をありがたがって、毎年正月の10日の例祭には、人より早く参詣していた。

ある年、新しい大福帳の祝い酒に前後不覚になり、ようやく明け方から餅船の20挺立てを全速で漕がせていく途中、例年より遅れたのをなんとなく気がかりに思っていたところ、歳し男の福太夫という家来がもっともらしい顔つきをして言い出すには、「ここ20年来朝恵比須にお参りになされたのに、今年は日の暮れ方のお参り、これから旦那様の身代もも苦しくなって提灯ぐらいの火が降りましょう。」ととんでもないむだ口を叩いた。

そのため、いよいよ機嫌が悪くなって、脇差に手はかけたが、ここが思案のしどころと気を落ち着けて「いや、春の夜の闇を提灯なしでは歩けない」と、足を伸ばし、胸をさすって苦笑いしているうちに、早船が広田の浜に着いた。心静かに参詣したが、松原は寂しく、御灯明の光もほの暗くみな帰る人ばかりで、これから参る者は自分よりほかにない。

気のせくままに神前来て「御神楽を奉納したい」と言ったが、神主たちは車座になって賽銭を勘定して銭刺しにつないでいるところだったので、互いに譲りあったあげく、舞姫の後ろ手鼓だけ打ってそこそこに片づけ、清めの鈴も本来なら頭上で振るのに、遠いところからいただかせておしまいにしてしまった。

神のこととはいえ少々腹が立って、末社もざっと回って、また船に乗り込み袴も脱がずに横になり、いつとなく寝込んでしまったが、あとから恵比須殿が烏帽子のぬげるのもかまわずたすきがけで袖まくりして、片足を上げて岩の端から船にお移りになられた。

あらたかなお声で「やれやれ、よい事を思いついていながら忘れたわい。この福をどの漁師になりとも自分の気分次第で語り授けようと思っていたが、今の世の人はせっかちで、自分の願い事だけ言うとさっさと立ち去っていくので何を言って聞かせるひまもない。おそく参詣して、お前は幸せ者だ。」と、耳たぶに口を寄せてささやかれるには「鯛の豊漁期の3、4月ごろに限らず、生舟の鯛をどこまでも無事に送り届ける方法がある。弱った鯛の腹に針を立てるのだが、尾先から9センチほど手前をとがった竹で突くやいなや生きて動きまわるようになるという鯛の療治法、これは新しい方法だぞ」と語り給うたかと思うと、夢が覚めた。

「これは世にためしのない新案だ」と、お告げにまかせてやってみたところ、思った通り鯛を殺さずに運ぶことが出来た。

これでまた儲けて、幸せよく順風をまともに受けて船を乗り出すように繁盛した。