2016年6月10日金曜日

巻5(1) 廻り遠きは時計細工

中国人は心が落ち着いていて、家業にもあくせくせず、琴・碁・詩・酒などの風雅な楽しみに日を暮らし、秋は水辺に遊んで月見をし、春は海棠の花咲く山を眺め、3月の節句前の収支決算期とも気付かずにのん気にしているのは、世渡りに無頓着な中国人の習わしで、なまじっか日本でこの真似をする人があるとすれば、とんだ愚か者ということになる。

中国人のある人が、一年中工夫をこらして、昼夜カチカチと枕になり続ける時計細工に手を付けたところ、その子がまたこれを受けついでおおかた成功し、そのあとは孫の手に渡ってようやく3代目に完成して、今では世界の人が重宝するものとなっている。

しかしながら、こんなに年数がかかっては、生活を立てるにはとても勘定に合わないことだ。

世間のことをこまかく気をつけて見てみると、いろいろおもしろいことがあるもので、これもインドネシアから渡来の菓子である金平糖の製法をいろいろ研究してみたけれども、どうしてもうまくゆかないので、唐目の秤目の1斤、すなわち160匁の金平糖を銀5匁ずつで買い調えていたものだった。

近年それが大分安くなったのは、長崎で女の手わざとして造り出すようになり、今では上方でもこれを見習って造り、世間に広まったからである。

初めのうちは都の菓子屋がさまざま苦心したが、ごま一粒を種としてこんなものができることがわからなかったのである。

これを始めに思い付いたのは、長崎に住む一人の貧しい町人であった。2年あまりも金平糖の製法に苦心して、中国人にも尋ねてみたが、まったく知っているという人がいなかったので悩んでいた。

実直な人が多い他国でも、よいことは深く隠すものとみえる。

例えばコショウ粒にしても、これに熱湯をかけて輸出されてきているので、輸入した日本ではそのコショウの木の形を見た人もなく、いくら播いても生えてくることは無いのだった。

だが、ある時高野山の何院とかで、一度に3石ものコショウを蒔いたところ、この中から2本だけ根を下ろして、しだいにはびこり、今では世間にたくさん普及している。

「この金平糖も、種のないところがあろうか。ごまに砂糖をかけてだんだん丸めていったものなのだから、第一にごまの仕掛けに秘密があるのだろう」と考えついて、まずごまを砂糖で煎じ、幾日も干し乾かしたあと、煎り鍋に蒔いて並べると、温まってゆくにつれてごまから砂糖を吹き出し、自然に金平糖となった。

ごま1升を種にして、金平糖200斤になった、1斤銀4分で出来たものを相場の銀5匁で売っていたところ、1年もたたないうちにこれで200貫目を稼ぎ出した。

のちにはこれに見習って、どの家でも女の仕事としたので、これを発明した男は菓子屋をやめて、小間物店をダシ、更に商才を発揮して商売にはげみ、その1代の間に1000貫目の長者となった。

日本に富貴をもたらす宝の入ってくる貿易港長崎に、秋舟が入港したときの景気は大したもので、糸・絹織物・薬品・鮫皮・伽羅などの諸道具の入札は、年々大変な金額にのぼるものなのに、これを一つも余さず落札してしまう。

例えば、カミナリのふんどしやら、鬼の角細工やら、なんでも買い取るところを見ると、世間の広いことが思い知らされる。

諸国からの商人がここに集まるなかでも、京都・大阪・江戸・堺の利発なものたちは、万事の商いを大まかに見積もって取引をし、雲を目印にするような当てにならない異国船相手に投資しても、未回収に終わることが無い。

それぞれの商売にぬかりなく、商品の目利きも心得ていて、見込み違いをすることが無い。

一般に金銀をたくさん儲ける部下は、収支決算はきちんとしておいて、私事に使うのも上手だし、逆に実直に構えて倹約しすぎる部下は、儲けるのが下手だ。上方の金銀は無事に上方に帰宅することだろう。

長崎通いの商売は海上の波風の心配の他に、いつ起こるとも知れない恋風が恐ろしい。

雨が降って物淋しいある夕暮れに、部下たちが大勢寄り合い、めいめいの主人が分限者になった由来を語り合ったが、なにか種がなくて長者になった人は一人もいなかった。

まず江戸の手代が話したのは、「私の主人は伝馬町の者で、わずかな身代であったが、さる大名の御厄落としの金子430両を拾ってから、だんだんと大金持ちになられたとかいうことだ。」。

また、京都の手代が語ったのは、「私の親方は小さな商人であったが、世渡りがうまく、世間でまだやっていないことでなくてはダメだと、葬式の貸衣装屋をはじめ、額烏帽子・白小袖・無地の袴の喪服一式、それに棺桶用の駕籠までこしらえて、急場の用に間に合わせ、この貸賃が積もって、ほどなく東山に楽隠居を構え、世間で3000貫目の財産と言われているが、その評価はくるっていないでしょう。」。

さて大阪の手代が語るには、「私の旦那は人と違って定まった女房を持っていなかった。これは家計の失費を考えて持たないのかと思えばそうではなかった。一生結婚するつもりのない後家を探して、かれこれ年を過ごしているうちに、器量の悪いのをかまわず、