2016年6月2日木曜日

巻6(4) 身代かたまる淀川の漆

この世の人の家業というものは急流にかけた水車のように休みなくはげみ、油断してはいけない。

川瀬の流れの速さも一昼夜に75里と見積もられるが、その水の行く末さえ限りあるものなのだから、人間の一生も長いようだが短くてだんだん顔に老いの波が立ってしまうのだ。

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その川波が立つ淀の里に与三右衛門という人が住んでいて、初めはささやかな家業を営んでいたが、自然と幸運が向いてきたのは、こういうことからであった。

ある時、降り続く五月雨の頃長堤も高波が越したので、村人は太鼓を打ち鳴らして人足を集めてこの水を防いでいたが、淀の小橋のあたりは普段でも淵をなしているので、今日の川の景色はことにすさまじく、阿波の鳴門を目の前に見るように渦が逆巻いていた。

その渦巻の中から小山ほどの黒い物がびゅっと浮き出し、征見ずにつれて流れてゆくのを、見ている人達は「鳥羽の車牛であろう」と指さして話し合っていた。与三右衛門は牛にしては大きすぎるのき気づいてこれを後から追いかけていくと、渚の岸の松に引っかかって止まったので近寄ってみると、年々ほうぼうの谷から流れ出してきて固まった漆であった。

これは天の与えてくれたものとばかり喜び、砕いて淀の上荷船で取り寄せ、密かに売ったところ、この一つの塊が1000貫目以上になり、この里の長者となった。

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これは知恵・才覚でなった金持ちではなく、自然と幸運にめぐり合わせただけの事である。おのずと金が金儲けをして、その名を世に広めただけである。

あるいは親からの遺産を譲り受けたり、または、博打業で勝ったり、偽物商いで稼いだり、金持ちの後家を見立てて婿入りしたり、高野山の寺の祠堂銀を低利で借り出して、高利で貸して儲けたり、人が知らないからといって、身分のいやしい者へ頭を下げて商売したり、といったことをして暮らしが豊かになるというのは嬉しい事ではない。

まともに働いて金持ちになる人こそ本当の出世というものである。

人のケチなのを笑うのはよくない。それは各自の覚悟による事である。

それどころか、手を出して人の物は盗まないにしても、そうした盗人の心と違わないような非道を行う人が、世間にまぎれて住んでいる。

たとえば借銀がかさみ、次第にやりくりに困り、いろいろ工夫を凝らしてみてもうまくいかずに、自然とその家をつぶしたとしても、少しも財産をごまかさず、細かく清算した上での破産ならば、たとえ損をしても債権者のほうで恨まないものである。

ところが、今どきの商人は自分の身代に不相応な贅沢をして、それもみな人からの借金でなかなって日を送り、大晦日の夕暮れになって驚き、計画的に倒産する用意をしたりする。

まず世間への見せかけを良くし、隣家を買い足して軒を続けて増築し、町内の人たちを舟遊びに誘い、琴を弾く女を呼んで女房の一族を慰め、松茸や大和柿の初物を値段にかまわず店先で買い取り、茶の湯は催さないけれども、茶壺の口切前ごろに路地を造り、下男の久七に明け暮れ叩き土させ、座敷の奥深く金屏風を光らせて、世間の人にうらやましがらせ、間もなく売り家になるのに千年も住むように思わせるために、屋内の井戸を木から石の井筒に取り換えたりして、人の物を借りられるだけは借り集めて、密かに田地を買って置いて一生の暮らしが立つようにしておき、そのほか子供の教育費まで取って置き、破産の際、債権者たちに提供する財産の総額を債務の35%に相当するように工夫して、債権者に渡すのであるが、初めのうちはいろいろ言っても後には皆根気が尽きてそれなりに済んでしまう。

すると破産者はその当座は悲しそうな顔つきをして木綿着物で外出していたが、はやばやとその時のつらさを忘れてしまい、寒風もこたえぬ重ね小袖を着て、雨降って地固まると言わぬばかりに、長柄の傘をさしかけさせ、竹杖をもったいらしくついて、紫の頭巾をかぶり、「小判は今が売り時か」などと相場を聞くなどは、まるで財産を隠匿しておいたことを白状しているようなものだ。

さても恐ろしい世の中だ。うかつに銀も貸せないし、仲人まかせに娘も縁づけられない。

念には念を入れてもとかく損銀が多いものだ。昔大津で、銀1000貫目の借金を世間に例のないことだと評判したが、近年は京・大阪では3500貫目、4000貫目の破産もさほど多額だという人もなく、その時代によって違うもので物事も大がかりになってきた。

以前とは変わって世間に流通する金銀が多くなり、儲けも多いかわりにひどい損もする。

商売のおもしろいのは今だ。せいぜい世渡りをおろそかにしてはならない。

ある長者の言葉に「欲しいものは買わず、惜しいものを売れ」という。この心がけで稼いで奢りをやめれば、よい結果を見るにきまったことだ。

だから商売の心がけは、自己資本の基礎をしっかり固めて気を大きく持つことが肝要である。

さてこの淀の人は都の栄華を見ならい、淀の大川を引いて泉水を作り、今日から多くの大工を呼び寄せて、絶えず回る水車を作らせたが、「淀の川瀬の水車、誰を待つやらくるくると」という踊り歌の文句ではないが、この水車お客を待つのかくるくると回り、接客用の椀や膳を扱う音は伏見まで響き、浜焼きの香りは橋本・葛葉に伝わり、茶は宇治にしきりに使いをやってよい茶を取り寄せ、酒のしたたりは松の尾まで流れる有様で、この繁盛ぶりはいつまでも尽きる時はあるまいと見えた。

だがある時、この家に石清水八幡宮を勧請して安居の頭の儀式を執り行い、めでたいことが数々あったが、この行事はその頭である亭主の心掛けが大切で、何事につけても惜しいと思う心が起こると、たちまち行事は無効になるのであった。

と事が、この家が破滅するというお告げであったのか、大ガマの下で大束の葦が燃えしきったのを大勢の人が庭にいながら、これをさしくべる人が無かったので、その亭主がその燃え方を惜しいことだと思ったのがもとで、それから間もなくこの家は断絶し、その名だけを今でも踊り歌にとどめているのであった。